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2020.05.11 コラム

わたしたちのカラダとデータとブロックチェーン「2/2」

私たちのカラダと2.png


アフターコロナの大阪万博



 世界中に蔓延し、私たちの活動に多大なる障害を与えているコロナウィルス。

毎日、医療に従事している皆さんが賢明な対応と看病とケアにもかかわらず、日々忌々しき状況になっていることを、毎日ニュースで耳に入ってきます。



   ここで、感染の抑え込みに成功したといわれている国に共通していることは、
誰が感染したか、また感染者の行動がクラスターにならないようにすべて強制的に健康状態を管理し、国家の監視下の元において、徹底的に感染者と健常者をセパレートし、行動を制限して対処した、ということです。


   前回、進めてきた話を、再度振り返ります。
自分のライフログや生体情報のデータが、様々なセンサーで、大量に上がってきます。自分の生体情報を自分で判断した信頼できる調査機関や検診機関に、又はお医者さんに渡すことができれば、圧倒的な未病効果を得ることができる一歩手前まで、開発や研究が進んでいる話をしました。

これは私たちにとって、明るい部分の話です。いつでもどこでも自分の腕につけているスマートウォッチから、脈拍、血圧、体温などのデータとAIによって診察された健康状態が絶えず自分以外の誰かに日常的に見てもらうことができるわけです。

 でも、このデータに、今後人類に危機をもたらす感染者であることが疑われるデータであった場合、どうしますか?

このウィルス感染者であることがわかると、政府は社会的に隔離し、すべての行動履歴をチェックし、行動の自由に制限をかけます。ウィルスに感染していない限りは、政府は行動の権限を付与するということになります。感染者と非感染者をセパレートすることで、封じ込めることができる。ならば、と国民全員に脈拍と血圧と体温を測り報告してそのデータを管理すればよい、いや、全員にIoTスマートウォッチ装着を義務化し、そのデータを管理すればよい…ということも想定されます。このデータは、効率を考えると、政府を中央に置いた一極集権型でデータ収集されていくでしょう。そのデータは分析され、感染者と非感染者を判断され、行動の自由やプライバシーは制限されていくことになります。

   もし、かつての全体主義的な独裁国家がこの仕組みを使うと、データ分析の結果を根拠にして、人々の権利を制限することができるかもしれません。また、生体データを感染症のチェックのためだけでなく、選挙活動や思想扇動に利用し、すべては“社会の最大幸福のため”という理由で、データを政府に提供しない市民には罰則規定なども法律化されるかもしれません。これに強権的なデータ管理に対して反対する市民は、嘘偽りのデータを提供したり、ハッキングして改竄したり、他人になりすましをしたり、という方法で抵抗するかもしれません。データを提供することが監視と個人のエンパワーメント(権限移譲)の弱体化を助長することになる場合もあるってことなんです。

   もう一つは、データ開示で共有することで、分断や差別を生む可能性だってあるわけです。
「医療従事者の子ども 保育所が拒否も 厚労省が対応求める通知」 - 4月22日付「NHK news web」より


   医療に携わるご子息は、保育園では預かることができない。なぜならば、コロナに感染しているかもしれないからという、理由からでしょうか、先日ニュースはこんなことを伝えていました。
また、先日、夫婦で感染者であることを公表した元アナウンサーの場合は、こんな感じです。

――――「2歳8カ月の長女を預けず、一緒に自宅で過ごしている」

医療従事者であることや自分が感染していることを開示することが、社会的な不利益を被ることや
感染者をいたわりケアすることが必要なはずなのに忌み嫌い、その結果、分断や排除を促進することになっています。感染を広げないためにも、データの開示は、必要で、その開示には価値があり、敬意を払い、そのデータは感染拡大の対策に大きく寄与するというのに…です。


 データを開示提供する人が、称賛され、人権もプライバシーもきちんと守られる環境をどう維持していくか…この解決策に「データ開示=感謝=報酬」という考え方もあるかとおもいます。

長くなりましたが、すべての国民の生体データを管理監視することが、物理的に可能なこの時代です。



誰に自分のデータを提供開示するか、ということが、非常に大きなポイントであることがお分かりいただけたかと思います。

 開示する側と、開示される側が、フェアであるか、嘘偽りがないか、邪悪でないか、そしてお互いが権限を付与しあい、お互いのために建設的にデータを生かしていく姿勢や態度が試されるわけです。
 一方は一方を管理監視する状態は、フェアではないわけですから。企業とユーザー、国家と市民も同じことです。つまり、ユーザーや市民には、付与されている最大の権利は、「自分のデータを開示する相手先を決められる」ってことなんです。


   データについて、一番明確な答えは、監視されるモノではなく、また分断を生むものではなく、差別や孤立を助長するものではないはずです。そのデータを自らの判断でニュートラルで信頼できる団体や組織へ共有し開示することが、人類にとって科学的にも価値があり、感染症の対策に対して協力を生み、効率的に封じこむための情報が共有できることになるわけです。データを開示共有することが決して不利益になることではなく、本当に価値あるデータとして、モラルある行動として開示共有し利活用する「ふるまい」その価値観や行動規範、民主的な態度を私たちが新しい時代の新しい価値観としてどこまで持てるか…これこそが、まさに目指すべき世界である「データの民主化」ではないでしょうか。そのための手段やツールは、もうクライアント/サーバー型の技術に対しては、疑念が生まれているのは事実です。


確実にアフターコロナの世界として開催されるであろう2025年の大阪万博。
いったいどんな社会になっているのか、楽しみでも、不安でもあります。(了)


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